国分松本遺跡跡第14次発掘調査現地全容
←←←←←←溝1
南東隅建物跡の四角に掘られた柱跡には柱材が残っており、周りには柱材を固定する為に石を詰めている
南東隅の建物跡
掘立柱建物跡3
←←←掘立柱建物跡2
掘立柱建物跡1,2
1号井戸からの出土物と井戸の全容
  軒丸瓦

井戸1の上段に丸く見えるのが軒丸瓦

井戸1ベルトの飾り石 墨書石帯、九の文字が書かれている

井戸1より出土した数珠玉状木製品(乾燥する為に水に浸して取りあえず保存

井戸1の上に見える軒丸瓦
井戸1左写真の上段墨書土器の拡大 花寺の墨書が見れる     上記写真クリックで拡大可

井戸1より出土した土師器の数々 上段の土器は花寺の墨書土器

井戸1 外枠縦130cm、中枠縦90cm横60cm 中から瓦、土師器、須恵器、花寺墨書土器、石帯、数珠玉状木製品等出土
木枠が残っている井戸1  

第14次調査地
太宰府市文化財課により国分松本遺跡跡第14次発掘調査の現地説明会を28日10時より行われた。
 田中、土居先線道路工事に伴う調査で、此処は東側には筑前国分寺跡、西側には国分尼寺跡が 又南側では戸籍・計帳制度を示す
 木簡出土の第13次調査等位置する場所である。丁度国分寺と国分尼寺跡の中間地点にあり「一帯には国分尼寺の運営に関わる施設が あったのでは」との解説員中村さんからあった。    

 今回の調査で発見された遺物並びに遺構
  1、奈良平安時代の掘立柱建物3棟
     内建物1、2が規模も判明 建物3は北側にあり調査地外にはみ出している為全容不明    又南東側柱穴があり柱穴の中には
     石で囲んだ柱材が残されていた。更に調査地から東30mの地点に奈良時代の掘立柱建物が見つかっている。これら建物は平行し     て建てられ ほゞ同時代に計画的に立てられた建物と見られている。

  2、井戸3カ所中 井戸1が一番大きく井戸の木枠が残る、中から瓦、土師器、須恵器等出土 土器には文字が書かれた墨書土器を確認
     特に「花寺」と書いた土器がみつかり尼寺との関連を示すもの そのたベルトの石帯 金箔の数珠玉状木製品等奈良平安時代の      遺物が見つかっている。

  3、溝
     南北に伸びる溝3条確認  正方位に沿ってあるところから 尼寺の伽藍位置外に建てられた建物を区画をする区画溝と想定 
     溝から弥生土器、奈良平安時代の遺物が見つかっている。

  4、出土遺物
     奈良平安時代の土器 内墨書土器10点(土師器8点、須恵器2点)    この内、土師器皿の外側に「花寺」の墨書あり  今まで      埼玉県熊谷市寺内廃寺跡、奈良市法華寺(総国分尼寺)、上総国分尼寺跡(法花寺の墨書)、甲斐国分尼寺(法寺の墨書)跡で出     土。   古代では国分尼寺を略称として「法花寺」「花寺」「法寺」の字を使用していたらしい。このことから筑前国分尼寺を示してい     ることが分かった。 
     ベルトの飾り石は淡緑色の石帯が出土 石材は蛇紋岩 裏面には墨書確認「九」  この他数珠玉状木製品が出土 中央に穴が      開き表面は金が貼られている。


今回の遺跡発掘調査結果と成果について文化財課の見解

   1、今回の調査地は国分尼寺の伽藍地外の東側に位置する
   2、井戸から墨書土器が出土。尼寺を意味する「花寺」の墨書を確認
   3、筑前国分寺と国分尼寺の間で、奈良時代から平安時代にかけての掘立柱建物を確認
   4、今回の建物のほか、筑前国分寺跡第14次調査時の建物を含め、同様の時期の同規模の建物が並行してあることから規格性のあ     る建物である

以上の事から見つかった掘立柱建物と井戸は、国分尼寺に関連する施設であったと思われる。施設は寺の運営に関わるものや、寺院生活を営む為の施設などがある。
上総国分尼寺跡でこれらの施設の存在が確認されたことから、今回の建物跡は筑前国分寺の付属施設の一つであったと思われる。
今回の調査で西側で見つかっていた寺院の伽藍が国分尼寺であったことが考古学的に立証された事になり、筑前国分寺と国分尼寺の領域と周辺の土地利用を探るうえで大きな成果であった。
 国分尼寺(花寺)墨書土器現地説明
2015年3月28日(土)
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