太宰府条坊と榎社の位置図
|
|
溝
上記発掘現場からは溝が見つかり まとまった土器が出土、手前部分SB025からカメに坏を重ねて入れた祭祀に係る遺物があり、これらの土器形式から溝が機能していた時期は9世紀後半から10世紀初頭頃になる。
掘立柱建物跡は3棟見つかった。SB050緑部分柱跡は溝より先に存在 9世紀から10世紀初頭。SB030ピンク部分柱跡は1100年前後頃の土器が出土。 SB040黄部分柱跡は溝より新しい 出土した土器は平安時代の小片の土器出土で詳細時期は不明。
今回の調査から菅原道真公がここで暮らした時期を含む時代の遺構が、境内地で初めて確認された。
(道真公が在所した時期に係る遺構は、方形になる可能性のある溝とそれに先行する掘立柱建物のSB050緑部分で、柱間が3間以上×1間以上の規模で東西に長い掘立柱建物5.4m×2.6m 瓦の出土量が著しく少ない為、屋根は板葺or茅葺きであった)
溝は調査位置の関係で全体の様子は不明 一辺が7m程の四角い溝であれば(上記溝SD025とつながる)過去の調査例から屋敷内の御堂(神仏を祀る堂舎)や祠、墳墓を区別する溝になるが太宰府では10世紀前半には平地の条坊内に墳墓は営まれていないので、墓である可能性は低い。
正面のクスの大木が今回道路拡幅工事の為に移動することになった。
事による条坊調査
右側坏の入った甕が出土した場所 1区溝SD025より出土した複数の坏を入れた甕
* 今回の発掘調査で菅公が残した「官家後集」の南館を裏付ける貴重な遺構を発見した。
境内の地下には道真が在所した頃の遺跡が残されたことを証明したことになった。と発表者側は解説 今後の調査が楽しみで期待したい。
調査概要
位置 太宰府市朱雀6-2577
調査原因 県道観世音寺二日市線拡幅に伴う榎社境内の樹木移設等による発掘調査
現地説明者 太宰府市教育委員会文化財課
主要遺構
「9世紀後半~10世紀初頭頃」
掘立柱建物 SB050
東西3間(5.8m)×南北1間(2.8m)
溝跡 SD001、SD005、SD025 方形を残す可能性あり
溝幅1.0m、深さ0.3m、 方形の内法7m
「1100年前後頃
掘立柱建物 SB030
東西3間(7m)以上×南北1間(4m)
「平安時代後期」
掘立柱建物 SB040
東西3間(6.8m)以上×南北2間(5.8m)
発掘現場跡現地説明会のの様子